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光輝くものにも二種類ある

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5月より弊社の技術顧問に就任されました、田中康博様の「想シリーズ」を連載していきます。
これまでの技術者として歩んでこられた経験、人生についての心構えなど
私たちにとってたくさんの「学び」につながるお話。
毎月連載していきますので、御覧頂けますと幸いで御座います。

光輝くものにも二種類ある

「箔をつける」という言葉がある。これは普通の地金に、金や銀や錫といった高価な金属を薄く伸ばして押し付けることをいう。箔を押すともいう。
このことを転じて、人を重んじるように外面的に何かを付加したことを意味し、値打ちや貫禄があがることに使う。普通の地金に金や銀で箔をつけたら、当然光り輝き立派に見える。

一方、磨きあげた包丁や刀も光輝いている。そしてこれはその地金そのものが、中身と外身が一体で光り輝いている。磨きあげるとは、どういうことだろうか。錆びや汚いものを削り取り、でこぼこを平らにすることである。

 箔をつけたもの:光らないものに光るものをかぶせる。中身は何も変わっていない。

 磨きあげたもの:自らの汚いもの、醜いものを削り取る。中身も外身も正真正銘に光っている。

 

人間にも同じことが言えるのではないだろうか。己を磨くとは、自分の汚い心、醜い心を削りととることだ。削り取るとは痛みが生じるということ。痛いが自らが努力をして光輝く人間に変身することだろう。

良い服を着たり、高価な持ちものを身に着けていても、その中身である、その人の心や精神や人格が、それとつりあっているかは、一見分からない。

昔こんな歌があった。「ボロは着てても心は錦」。良い服を着るな、と言っているのではない。良い服や高価な持ち物に、つりあうように中身から光輝くようにすることが大切なのである。

しかし、磨きあげて今日、光輝いていても、そのままほっておくと、又錆びたり、汚れがつく。日々磨くことを怠れば、元の木阿弥となる。日々磨くことを、し続けることが肝心。

箔は、ある日ポロリと落ちることがある。元の地金に戻ってしまうのだ。このことを、「箔が落ちる」と言い、値打ちが下がることを意味する。立派な肩書などがなくなることも同じだろう。ポロリと落ちたら、今度は潔く磨くように切り替えたい。

・・・いかがであろうか。

田中 康博(たなか やすひろ)
長年、大日本スクリーン(現スクリーンホールディングス)で半導体製造装置の開発・設計に従事。
現在は技術系会社数社の顧問に就任。
また、PRO-SEEDの技術顧問、ヒューマンアカデミーロボット教室:彦根インター教室の校長を務める。